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アーティスト特集
Brigadier Jerry
ブリガディア・ジェリー
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トゥエルブ・トライブス・オブ・イスラエルというラスタ団体のメンバーで、厳密にカルチュラルなスタイルを貫いた。80年代における最も厳粛なリアリティーディージェイとして認知されている。

2007/12/20掲載 2018/5/23更新
(C)ダブストアサウンドインク 無断転載を禁ず
Brigadier Jerry 1957年9月28日~
本名: Robert Russel
出身: ジャマイカ キングストン


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ブリガディア・ジェリー(Brigadier Jerry)、通称ブリギー。ダンスホール時代に最も尊敬され、模範とされたアーティストながら、その作品数はまったくもって多いとは言えない。

トゥエルブ・トライブス・オブ・イスラエル(Twelve Tribes Of Israel)というラスタ団体(ボブ・マーリーも同じ団体)での活動に熱心だった彼は、団体が所有するサウンドシステム、ジャー・ラブ・ミュージック(Jahlovemuzik)でマイクを握ることの方がスタジオで決まりきった仕事をするより優先的だと考えていたようで、一般的なジャマイカの基準でみるとスタジオ録音が少ないのである。自身のインタビューでも語っている通り宗教上の理由、神の声に従ったということだ。

幼少の頃は家族でラスタのコミュニティで生活していたそうで、コミュニティー主宰の自主コンサートなどでマイクを握っていた。厳格なラスタのコミュニティで育ったことから彼のカルチュラルなスタイルはごく自然な流れだと言っていい。

際立って録音数が少ないブリギーだが、当時彼のパフォーマンスを収録したテープが島中に出回り、彼を見たいが為に島中から皆足を運んでいたそうだ。

主にレギュラーとして登場していたのが、Uロイ(U Roy)のキング・スター・ガフ・ハイファイ(King Stur Guv Hifi)と先のジャー・ラブ・ミュージックであった。

彼の残した作品で最大のヒットはジャー・ラブ・ミュージックからの'Jamaica Jamaica’、デルロイ・スタン・バリー(Delroy Stan Bury)のジュワンザ(Jwyanza)レーベルからリリースされた'Pain’が挙げられる。スラックネスが全盛だった時代において、これらの作品はダンスホールのスタイルとカルチュラルなメッセージが決して結びつかない訳では無いことを証明して見せた。

1988年から91年まではニューヨークを拠点に活動、92年にジャマイカに戻り、ジャー・ラブ・ミュージックを復活させた。Uロイがキング・スター・ガフ・ハイファイを再開してからはレギュラーとしてマイクを握っている。

1985年のアルバム「Jamaica Jamaica」以降は何枚かレコードも残しているが、ライブマンとしてのスタンスは決して崩すことは無く、リアリティー・ディージェイとして様々なアーティストからの尊敬を集めている。

Text by Dub Store Sound Inc.


       

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