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アーティスト特集
Freddie Mckay
フレディ・マッケイ
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およそ20年もの間レコーディングを行ったフレディ・マッケイがなぜそれにふさわしい成功を手にすることが出来なかったのかということはレゲエ・ミュージックの中でいまだに解かれていない謎の1つである。

2011/11/11掲載 2019/8/9更新
(C)ダブストアサウンドインク 無断転載を禁ず
Freddie Mckay 1947年~1986年12月19日
出身: ジャマイカ セント・キャサリン

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1234 ロックステディ

Freddie McKay

Love Is A Treasure

c/w) Alton Ellis - I Can't Stand It

Treasure Isle UK 1968

Love Is A Treasure

¥2,180
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四半世紀が過ぎた今考えてみても、どうやって、またなぜ才能溢れるシンガー、フレディ・マッケイ(Freddie McKay)が大量の名曲を作ることが出来たのか、またなぜいまだに過小評価をされているのか理解することは難しい。1947年、セント・キャサリンの教区で生まれたこのジャマイカ音楽の偉人のバックグラウンドに光を当てる伝記やインタビューは少ない。私たちが持っている情報といえば彼の素晴らしいレコード・コレクションだけである。1986年の脳内出血による彼の早すぎる死は非凡でまだこれからだったシンガーの1人をレゲエ界から奪ってしまった。

彼がレコーディングを始めたのはロックステディがスカに取って代わった1967年、‘Giving You A Try Girl’や‘Go On Girl’はプリンス・バスター(Prince Buster)のオリーブ・ブロッサム(Olive Blossom)とイギリスのブルー・ビート(Blue Beat)で交互に発表された。ビヴァリーズ(Beverleys)のために録音した素晴らしい‘Fine, Fine, Fine’は“Frederick McLean”という紛らわしい名前で表記されてしまい、その1年後にリリースされた彼のブレークのきっかけとなった楽曲、デューク・リード(Duke Reid)のプロデュースによる‘Love Is A Treasure’は“Freddie McLean”という名でクレジットされてしまった。この悲しみにくれた失恋ソングはフレディをロックステディにおいてトップランクのヴォーカリストへと押し上げた…それは決して簡単なことではなかった。

70年代初頭、フレディはブレントフォード・ロードに移り、素晴らしいソウル・ディフェンダーズ(Soul Defenders)をバックにつけ、ドッド氏(CS Dodd)のマネー・ディスク(Money Disc)へ多数の作品を定期的に提供した。ラリー・ウィリアムス・アンド・ヒズ・バンド(Larry Williams and His Band)を独創的に解釈をした‘High School Dance’、‘Sweet You Soar You’や現実味溢れるテーマを歌った‘Father Will Cut You Off’、そしてスタジオ・ワン(Studio One)からのデビュー・アルバムのタイトルにもなった大ヒット曲 ‘Picture On The Wall’などがその中の作品に含まれる。まさに彼の音楽キャリアを物語る‘I’m A Free Man’の最初のカットが録音されたのはちょうどこの時期でマネー・ディスクからリリースされたこの曲は彼の傑作のひとつで最も探されているレコードの1つとなった。

「この人生に生まれ、私は正しい人生を生きなければならない…」‘I’m A Free Man’より

次の数年間1つのレーベルやプロデューサーに固執することなくフレディは控えめにレコーディングを行った。彼のセカンド・アルバム「Lonely Man」はダイナミック(Dynamic)から1974年にリリース、ワーウィック・リン(Warwick Lynn)とネヴィル・ハインズ(Neville Hinds)によるプロデュースで異なったヴァージョンの‘I’m A Free Man’をフィーチャーした。心を掴む‘Rock A Bye Woman’などの重要な7インチ・レコードはまずラッド・ブライアン(Rad Bryan)のホット・ロッド(Hot Rod)からリリースされ、彼の伝説的なステータスを築く手助けをした。‘Ital Vibes’としてホレス・アンディ(Horace Andy)とジャー・ブル(Jah Bull)によりヴァージョン化されさらに有名になったこのレコードは耳の肥えたセレクターたちが好み定期的にプレイされた。当時若手プロデューサーだったレオナルド‘サンティック’チン(Leonald Chin)のために録音した悲しみをそそるようなメロディカが加わった別ヴァージョンの‘I’m A Free Man’は非常に人気を集め、オーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)の最も印象的な初期作品のひとつの‘Hap Ki Do’でリズム・トラックとして使用された。デニス・ブラウン(Dennis Brown)の金字塔ともいえる楽曲‘At The Foot Of The Mountain’をエディ・ウォング(Eddie Wong)が編曲しフレディがのんびりと歌った‘Won’t Get Away’はこの時期の名曲と称されている。

フレディがマックスフィールド・アヴェニューのチャンネル・ワン(Channel One)を訪れたのは1976年のことで、彼の“big heeled boots and bell foot pants(高いヒールのブーツとベルボトム・パンツ)”という歌詞にスライ・ダンバー(Sly Dunbar)の完璧なまでのミリタント・ダブル・ドラミングが乗り完成した‘Dance This Ya Festival’はその年のフェスティバル・ソング・コンテストで優勝、翌年アルヴィン‘GG’ラングリン(Alvin Ranglin)は全新曲による実に見事なアルバム、「The Best Of Freddie McKay」をリリースした。

フレディは早すぎる死が訪れるまでトップ・クラスの楽曲を様々なプロデューサーたちのために録音した。活動を共にした多くのプロデューサーたちのために録音した彼のベスト作品を集めた回顧的なアルバムは彼を業界のトップに君臨させることは当然だろうがライセンス契約が成立することは極めてむずかしい。フレディ・マッケイを知る人たちにとって彼は偉人たちの中の1人だ…だが悲しいことに多くの人はそれを知らない。

「故フレディ・マッケイは自身の才能に見合った賞賛を受けたことがなければそれを証明するアルバムを残していったわけでもない。その代わり彼のベストと呼べる作品は様々なレーベルに残した世の中に知られていない45回転のレコードだ…」スティーヴ・バロウ(Steve Barrow)&ピーター・ドルトン(Peter Dalton)


Text by Harry Hawks

代表作 >> 全て見る

1234 ロックステディ

Freddie McKay

So Long Farewell

c/w) Bunny, Ruddy - On The Town

Beverleys UK 1969

¥2,180
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歌詞紹介
Love Is A Treasure

およそ20年もの間レコーディングを行ったフレディ・マッケイがなぜそれにふさわしい成功を手にすることが出来なかったのかということはレゲエ・ミュージックの中でいまだに解かれていない謎の1つである。Freddie Mckay(フレディ・マッケイ)のアーティスト特集。
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