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アーティスト特集
Augustus Pablo
オーガスタス・パブロ
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「オーガスタス・パブロの音楽はその瞬間に創造され、どうしてかそれ以降に刻まれる時間との音楽的調和は永遠となる」アイアン・マッキャン

2011/11/26掲載 2018/4/11更新
(C)ダブストアサウンドインク 無断転載を禁ず
Augustus Pablo 1953年6月21日~1999年5月18日
本名: Horace Swaby
出身: ジャマイカ セント・アンドリュー


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1234 オーガスタス・パブロ 関連

Augustus Pablo

Ammagiddeon Dub

c/w) Fight The War Dub

Pressure Sounds UK/Message

Drum Song

¥1,580
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1953年6月21日、キングストンに生まれたホレス・スワビィ(Horace Swaby)は音楽背景のない家庭出身だったが音楽史の中で最も影響のある重要人物、オーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)として知られるようになった。彼はレゲエ・ミュージックの限られた世界とはかけ離れた、響くサウンドとスタイルを導き出したほどだ。彼の父親は会計士で、彼のクライアントの1人がゲイ・フィート(Gay Feet)を所有するソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)だった。パブロはケン・ブース(Ken Boothe)が‘Lady With The Starlight’を歌ったダブプレートを彼女がくれたことを「リリースされる一年前に家にあったんだ…」と覚えている。彼は生活に余裕のある中流階級の自宅にあったピアノを練習したり、釣り糸を弦に見立ててギターを作ったりした。「俺は音楽の音色がただ好きだったんだ。色んな種類の音楽さ。幼いころから音楽は自分自身の中にあった」と彼は思い出す。そして、彼は初録音を70年代初期にコクソン・ドッド(CS Dodd)のスタジオ・ワン(Studio One)で行った。

「コクソンは(それらの録音を)ほとんど出さなかったよ。オルガンのインストゥルメンタル楽曲が3つ、その中の1つが‘Moving Away’だった。アイディアがあって、ただそれを演奏しただけだ…それと2つのオリジナル・リズム。シルヴァン・モリス(Sylvan Morris)とラリー・マーシャル(Larry Marshall)がセッションを指揮したんだ。これはちょうどハーマン(Herman Chin Roy)のところに行く前だった。俺は‘Real Rock’や‘Swing Rock’が大好きだったよ」オーガスタス・パブロ

ハーマン・チン・ロイは自身のレーベル、アクエリアス(Aquarius)からリリースするインストゥルメンタル楽曲に名前を付けるためにメキシコの雑誌を使っていて、謎めいた“オーガスタス・パブロ”という仮名が録音に神秘的な雰囲気を与えられると考えていた。1971年、スワビィ家の友人の娘から借りたメロディカを手にアクエリアス・レコード・ショップの中にいた若きホレス・スワビィに、ハーマンはこの楽器を演奏できるかと聞いた。彼はホレスのメロディカから奏でられた音に感動させられ、すぐにランディーズ(Randys)のスタジオ17(Studio 17)を翌週に予約したほどで、歴史的な最初のセッションで制作されたのは‘Iggy Iggy’でヘプトーンズ(Heptones)の‘Why Did You Leave’のリズムを使用したものだった。この作品に続いた‘The Red Sea’や‘East Of The River Nile’の2作は後の何年かのレゲエの方向性を決定付けるサウンドとなり、ホレス・スワビィはオーガスタス・パブロとして活動するようにまでなった。そして、ハーマンが“オーガスタス・パブロ”という名を映し出そうとした深い神秘をパブロ自身が理解してから彼の創造する音楽は永遠の傑作となっていった。

「パブロがその名を使うことはけして問題にならなかった」ハーマン・チン・ロイ

翌年、パブロはキングストン・カレッジからの古い友人だったクライブ・チン(Clive Chin)との活動に移っていった。学校卒業後、家族経営のランディーズで仕事をするようになっていたクライブはパブロのメロディカ・インストゥルメンタルにチョーゼン・フュー(Chosen Few)のハーモニーを加えた‘Java’を制作、大ヒットを記録したこの楽曲は1972年の「トップ・インストゥルメンタル・レコード」に選出された。さらに発表した‘Java’リズムの楽曲はクライブとパブロを成功に導き、その結果、LP盤「This Is Augustus Pablo」が生み出された。

「過去数年、レゲエはジャマイカのみならず世界で流行を生み出してきた。さらに今日、若い世代が求めるのはレベル・ロック・ミュージックというタイプのサウンドでそれがまさに本作である」‘This Is Augustus Pablo’のライナーノーツより

マイナーコードで演奏されるメロディカが何よりも心から消すことの出来ない音であることに気が付いたのはキング・タビー(King Tubby)で、タビーによるプロモーションによってパブロを決定付ける“ファー・イースト(Far East)”サウンドが生まれた。

「タビーは俺のブラザーだ!俺のために木琴を買ったのは彼…彼は俺に色々と見せ、音楽を教えてくれたんだ…その音がどういったキーだとか…」オーガスタス・パブロ

1972年、自身のホット・スタッフ(Hot Stuff)とロッカーズ(Rockers)といったレーベルのためにプロデュースを開始するも最初に自主制作した‘Kid Ralph’はダイナミック・サウンズ(Dynamic Sounds)の傘下レーベル、パンサー(Panther)からリリースされた。そしてパブロ伝説のレーベル、ロッカーズから最初のリリースとなった‘Skanking Easy’は‘Fiddler On The Roof’を最初にカバーした曲で、スタジオ・ワンでソウル・ヴェンダーズ(Soul Vendors)が‘Swing Easy’として取り上げるよりも前のことだった。

「最初のレコードはあまり売れなかったよ。俺たちは毎回100枚、200枚、300枚だけプレスしたんだ」オーガスタス・パブロ

しかし音楽における模範曲をリメイクすることは70年代が進行するにつれ人気を増し、パブロが1972/1973年の時点で先取りしていたこの方向性は後にバニー‘ストライカー’リー(Bunny Striker Lee)、チャンネル・ワン(Channel One)のフーキム兄弟(Joseph Hookim)、ザ・マイティ・トゥー(The Mighty Two)として活躍したジョー・ギブス(Joel Gibson)やエロール・トンプソン(Errol Thompson)の作品に当然の結果として表れることになった。パブロは自身のレーベルだけのためではなく、数多く他のプロダクションで無数の傑作を生み出した。一例にリー‘スクラッチ’ペリー(Lee Perry)の傑作とされる‘Fever’リズムを使用した2つの異なったヴァージョンの‘Hot And Cold’とキース・ハドソン(Keith Hudson)のために録音した‘Fat Baby’、デリック・ハリオット(Derrick Harriott) のもとで制作した‘Bass And Drums Version’と‘Bells Of Death’などがある。

パブロの名前とダブのコンセプトが国際的なリスナーに初めて紹介されたのは1975年のことで、(1973年に発表したパブロの‘Cassava Piece’リズムを使い)ジェイコブ・ミラー(Jacob Miller)の歌う‘Baby I Love You So’をキング・タビーが「King Tubbys Meets Rockers Uptown」のB面に収録するために“分解・再構築”した曲だった。タビーが制作したこのヴァーションはA面としてアイランド・レコーズ(Island)からロンドンでリリースされ、音楽紙は遅まきに始まりを見せていたダブという新たな音楽現象に注目するようになった。そして2年後に、タビーがパブロのために手がけたB面を集めた画期的なアルバム「King Tubbys Meets Rockers Uptown」がリリース。この作品集はダブが何かを語るアルバムで、35年ほど前にダブが何を意味し、何が重要だったのかを示している。もともとはニューヨークを拠点とするブラッド・オズボーン(Brad Osbourne)のレーベル、クロックタワー(Clocktower)から発表された作品で、欠点のない作品集は1977年から販売し続けられ、これに優るものはないだろう。

「俺が最初にリリースしたLPはタビーにミックスしてもらいダブLPにしたかったんだけど、俺はどうもダブをみんなが考えるように見ていなかった。俺がダブを生み出したわけじゃないよ!みんなが一緒になってリズムを作り、エコーをかけていたんだ。それを俺たちはダブと呼んでいた…でもみんなはダブに違う意味を持たせるようになっていたね。俺はただ何か新しいことに挑戦したかったんだ。俺は流行り左右されない!」オーガスタス・パブロ

それから20年に渡たり、受け継がれる音楽スタイルや流行が移り変わりゆく中、パブロは一切変わらぬ音楽を制作し続けた。ロッカーズとメッセージ(Message)からパブロの超越した音楽がリリースされ、今も力強い不朽の作品として無限の広がりを見せ続けている。

「俺が創造しようとするすべては、俺のすること、俺の動きなんだ。それは音楽だけじゃない。俺のすることすべてだ。俺はスタジオに毎日いるわけじゃない。俺はそうやってエネルギーを使いはしない。自分自身に向き合えば上手くいくんだ…

俺は他の人のために演奏するのを止めた。プロデューサーとの活動から身を引く時が来たんだ。彼らが出来ることは俺たちの手にかかればもっと上手くできるんだ!多くのプロデューサーは素晴らしいが…音楽を本当に創るのはミュージシャンたちだ。彼がそれぞれ違うヴァイブスを持っている。俺はミュージシャンで彼らはプロデューサーという名前があるだけさ!だから俺は自主制作を始めたんだ」オーガスタス・パブロ

しかし、オーガスタス・パブロは自分に与えられるべく賞賛を拒否するのだった。「人々は成功と呼ぶかもしれないが、俺はやるべきことをしているんだ。わかるだろう」1999年5月18日、彼は重症筋無力症という珍しい神経障害で若くして亡くなった。90年代、彼の健康状態が悪化していたことは見て取れたが、彼の音楽は彼の信仰に対して熱心であり続け、信仰の深かった彼のレコードには共同プロデューサーとしてハイレ・セラシエ(Haile Selassie)の名が明記された。また、パブロの持ち合わせたジャマイカ音楽史の深い知識と理解が彼の作品の礎を築いたと言っても過言ではないだろう。彼の音楽におけるスピリチュアリティーは深く、ダークなリズムに垣間見ることができ、その特別な性質は大衆音楽において先例のないものだった。彼がオレンジ・ストリートで運営したロッカーズ・インターナショナル・レコード・ショップ(Rockers International Record Shop)は今もキングストンのダウンタウンでロッカーズ音源の配給を行い続けている。パブロの音楽は永遠に生き続けよう。


Text by Harry Hawks

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Rockers Inna Hungry Town

Hungry Town UK 1979

Info: 廃盤

¥2,680
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12345 ダブ 1970s

Augustus Pablo

King Tubbys Meets Rockers Uptown

Clocktower CA 1975

¥2,680
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1234 ダブ 1970s

Impact All Stars

Java Java Java Java (Dub)

VP US 1973

¥2,280
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