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アーティスト特集
Big Youth
ビッグ・ユース
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20世紀後半において、そのスタイルがもたらした影響力の強さ、アーティストとしての革新的なスタンスで最も重要な人物の1人とされる。

2013/4/26掲載 2018/1/10更新
(C)ダブストアサウンドインク 無断転載を禁ず
Big Youth 1949年4月19日~
本名: Manley Augustus Buchanan
出身: ジャマイカ キングストン


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1234 ルーツ・ディージェイ 70s

Big Youth

What's Going On? (Colored Vinyl)

c/w) Wake Up Everybody

Negusa Nagast UK 1978

¥1,680
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ビッグ・ユース(Big Youth)が初めてレコーディング・スタジオに入ったのは今から40年以上も前であるにも関わらず現在の彼の音楽は70年代のそれに比べ全く引けをとらない程新しく、特異、また献身的で、革新的でもある。建設的な歌詞を歌うディージェイとしての新たなスタンダードを確立し、彼以前に活躍してきた先代たちと比べ、芸術形式としてのディージェイというあり方をはるかに高めた立役者でもある。

マンレー・オーガスタス・ブキャナン(Manley Augustus Buchanan)は1949年4月19日に誕生した。警察官であった父親は子育てを放棄、母親に全てを押し付けた。母親は5人家族をレイ・タウンとキングストンのプリンセス・ストリートで育て、彼が14歳になる頃、手に職を就けるために機械工として見習いをさせた。

「(もし私たちに選択肢があるとしたら)ビッグ・ユースは他の誰もが望まない子供時代を過ごした。たとえ皆がそれを好き好んで読むとしてもだ」クリス・レーン(Chris Lane)

10代の頃からその身長が故に“ビッグ・ユース”(でかい青年)と呼ばれていた彼は、後にキングストンのSheratonとSkyline Hotelの建設時に、雑用並みの給料で機械工をしていた。ユースはラスタファリアンの教えに慰みを覚え、働きながらそれについて歌ったり叫んだりしていた…自らの声を作りかけの部屋に反響するのを聴きながら。

「俺がSheratonで働いていたときはいつも、何を見てもそれが俺に反響してきた…そして俺の声は壁に反射してこだましてきた」ビッグ・ユース

すでにキングストンで開催されるサウンド・システムのダンスの常連になっていたビッグ・ユースは、マイクを握るチャンスをいつもうかがい、毎回どうすれば聴衆を虜にできるか学んでいった。そして彼等の注意を惹き付けると決まってラスタファリアンを激賞し、気の早いの不良たちに向かって「ナイフは家に置いてきてくれ」と嘆願した。物覚えの良かった彼は1971年3月をもって、ジャー・スティッチ(Jah Stitch)から引継ぎ、ロード・ティッパートーン・ハイ・ファイ(Lord Tippertone Hi Fi)の専属ディージェイとなった…彼等はIロイ(I Roy)の所属していたキング・タビー(King Tubby)のホーム・タウン・ハイ・ファイ(Home Town Hi Fi)の唯一のライバルに値するサウンドだった。Iロイはビッグ・ユースを奨励し、時たま彼にマイクを渡した。だが、2つのサウンド・システムがクラッシュする際は全く容赦しなかった。

ビッグ・ユース初めてのレコードはグレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)がプロデュースした、今日でも衰えを知らないエロール・ダンクリー(Errol Dunkley)の‘I Don’t Know Why’/‘Movie Star’のカットで、‘Movie Man’というバージョンの録音だった。1972年1月にザリナ(Zarina)からリリースされた本作は当時泣かず飛ばずであった。

「あれは失敗だったが、俺は次のレコード、ジミー・ラドウェイ(Jimmy Radway)のレーベルから発売された‘Black Cinderella’、またの名を‘Best Big Youth’とアップセッター(Uppsetter)のために録音したボブ・マーリー(Bob Marley)&ウェイラーズ(Wailers)の‘Keep On Moving’のヴァージョン‘Mooving Version’で挑戦しつづけた。それから俺はフィル・プラット(Phil Pratt)のレーベルから‘Tell It Black’と‘Phil Pratt Thing’、ガッシー・クラーク(Augustus Gussie Clarke)からは‘Killer’と‘Tippertone Rocking’、プリンス・バスター(Prince Buster)からは‘Chi Chi Run’を出し、その後‘Ace 90 Rock Skank’で初めてナンバー・ワンを獲ったんだ」ビッグ・ユース

このキース・ハドソン(Keith Hudson)プロデュースの作品はビッグ・ユースが大躍進するきっかけとなった。1972年7月にキースのマフィア(Mafia)レーベルからリリースされた’Ace 90 Skanak’は、ミュージシャンでありプロデューサーのオジー・ヒバート(Ossie Hibbert)も自身が躍進するきっかけになったと思い出す。

「フルタイムでミュージシャンをやるようになってから初めて俺にブレークするきっかけを与えてくれたのが‘Ace 90 Skank’だった… それ以前は誰も俺を知らなかった。バニー・リー(Bunny Striker Lee)と他に何人かのプロデューサーだけが俺を知っていただけだ。このリズムはたった1つのトラックに録音されていて…全てはそこから始まったのだ!ビッグ・ユースがこのリズムで歌ってから俺は有名になった。そしてデューク・リード(Duke Reid)等のプロデューサーが俺を使ってくれるようになった」オジー・ヒバート

これはビッグ・ユースにとって意味のある時期だった。‘Ace 90 Skank’でナンバー・ワンを獲ったからだけではなく、素晴らしい両A面シングル、‘Children Chilren’/‘Mr. Buddy’を、自身が立ち上げたレーベル、ネグサ・ナガスト(Negusa Nagast)(アムハラ語で諸国の王)からリリースし、またオーガスタス・ガッシー・クラークのためにデビュー・アルバム「Screaming Target」を録音、こちらは最初ダイナミック(Dynamic)系列のレーベル、ジャガー(Jaguar)から発売され、後にガッシーのレーベルから、さらにはその影響力がゆえ、ロンドンのトロージャン(Trojan)レコードがUKでの発売権を抑えた。

「アルバムには比較的経験の少ない19歳のガッシー・クラークを起用した、それはディージェイの持ち味を最大限に引き出すためだ。ガッシーはビッグ・ユースと同じ荒っぽいダウンタウン地区の出身で、他の有名プロデューサーとは比べものにならないほどストリートのヴァイブスを体得していた…ガッシーの成功への秘訣はシンプルで、散らかっていないダブ・ミックスのリズムでディージェイを録音することであり、それはすなわちビッグ・ユースの自然なチャント・スタイルを生かすために隙間を作ってあげることだった」デイヴ・ヘンドリー(Dave Hendley)

ビッグ・ユースの歌声は一時期、作りかけで空っぽなホテルの部屋の中を反響するだけだったが、その聴きやすくも本物のキングストンのゲットーを象徴する“ジャー・ユース”の音楽が後に国際的にこだまするようになる。常に聴衆を啓発することに挑戦し続けた彼の歌詞は、ゲットーにおける厳しい貧困に鋭い見識を、そしてジャマイカの若者にラスタファリズムの影響をもたらした。また自身のプロダクション、ネグサ・ナガストとレーベル、オーガスタス・ブキャナン(Augustus Buchanan)からリリースされた‘Sky Juice’をはじめ、‘Hot Stock’、‘Wolf In Sheep Clothing’や‘Miss Lou Ring Ding’のみにとどまらず、バニー・ウェイラー(Bunny Wailer)への‘Bide’/‘Black On Black’、ヴィヴィアン‘ヤビー・ユー’ジャクソン(Vivian Jackson)の‘Yabby Youth’、ウィンストン・ライリー(Winston Riley)の‘All Nations Bow’、さらにはアビシニアンズ(Abbyssinians)による’I Pray Thee’など他のプロデューサーへも数え切れないほどの重要なレコードを録音した。ビッグ・ユースの優位は彼の作品に備わる不屈の価値を基にし、その後彼はファッションとなりレゲエ音楽の中でキャリアを形成していく。その功績はこれまでもこれからもほんのひと握りのアーティストしか達成することはない。

「7枚のレコードが同時にチャートされているユースは、まさに頂点に君臨している。一部の人々は彼の人気は一過性だと言う、それは彼がとてつもないインパクトと共に登場し、またそれは瞬く間の出来事だったからだ。しかしユースは人々と時代を理解している。愛と平和のメッセージは永久不滅だ。彼の言う“我々のたった一つの望み”とは、全ての人々が共に仲良くやることだ」ジャン・フェアウェザー(Jean Fairweather)

ビッグ・ユースは仰天するほど独創的なものを生み出すため、全てのものを、どれでも調和させた、リズムに乗りながら、ゲットーにおける人生の言葉を加え、彼のラスタファリアンとしての信念を説き、子供用の詩を取り入れ、映画を参照し、メントを織り交ぜ、ラスト・ポエツ(Last Poets)に触発されたポップやソウルな一節を交える。クラシックに次ぐクラシックの量産を基に、70年代に組み立てられた彼の作品の本体となる部分は、今でも、そしてこれからも当時のような特異性を丸々残しつつ鳴り響いていく。ビッグ・ユースはいつも、常にレゲエの天才という言葉を凌駕していくであろう。彼は彼の時代の伝説であり、その音楽的、詩的革新は世界中で反響し続ける。

「これがダンスホール・ディージェイの無冠の帝王、ビッグ・ユースの言葉だ…」ジャン・フェアウェザー

Text by Harry Hawks

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1234 ルーツ・ディージェイ 70s

Big Youth

Every Nigga Is A Star (Colored Vinyl)

Negusa Nagast UK 1975

Sweat For You Baby

¥1,980
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