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アーティスト特集
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Mavado マバド |
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このダンスホールのスーパースターのキャリアは本当に華々しく、ますます強力になっている。“マバド…ヒップ・ホップ色の強いビートと、ストリート・ライフと救済を歌う不気味なマイナー・キーのヴォーカルを操るアーティスト”Rolling Stone紙 Tweet |
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2014/8/6掲載 2018/6/13更新 (C)ダブストアサウンドインク 無断転載を禁ず |
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1981年11月30日~ 本名: David Constantine Brooks 出身: ジャマイカ キングストン カッサバ・ピース >> 全ての代表作を見る |
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Mavado Force It Up Purple Skunk 2007 Oparation Torpedo |
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1981年11月30日、デイヴィッド・コンスタンティン・ブルックス(David Constantine Brooks)としてキングストンのタフなカサヴァ・ピースのエリアに生まれた彼が最初に触発されたのは幼少の時、祖母とグランツ・ペンの教会で歌っていた時である。しかしラジオとダンスホールから流れてくる音楽、特に音楽界における伝説的な存在、トゥーパック・シャクール(Tupac Shakur)とバウンティ・キラー(Bounty Killer)の作品から更なる影響を受けたことが伺える。ジュニア・リード(Junior Reid)のスタジオでデイヴィッドがバウンティ・キラーに出会ったのは僅か15歳の時だが、彼の幼少期のヒーローはすぐさま、デイヴィッドの若き才能に気付き、彼の世話をし、自身のマネージャー、ジュリアン・ジョーンズ・グリフィス(Julian Jones-Griffith)に紹介した。彼はステージ・ネームを、スイスの高級腕時計製造会社と同名だった“Movado”から“Mavado”へと変名するように助言され、そこからすぐさま、アーティストまたプロデューサーとしてダンスホールの世界で流星のごとく素晴らしい出世を遂げた。たとえスイスの製造会社と同名であろうとも、マバドを止めるものなど無かった…
マバドのデビュー・シングル、“Anger Management”リズムからのカットされた‘Real McKoy’は2004年にリリースされ大ヒットを記録、そのあとの“Red Bull & Guiness”リズムに乗せた‘Weh Dem A Do’も…すさまじいヒットとなった。2005年から2006年にかけてヒット曲が続き、2007年の夏、マバドはVPレコーズ(VP Records)よりデビュー・アルバム「Gangsta For Life: The Symphony Of David Brooks」をリリースした。その翌年、大変人気のあるGrand Thift Auto IVに‘The Real McKoy’と‘Last Night’がフィーチャーされ、更なる国際的な成功を強固なものにし、イギリスの名誉あるMOBO Awardの2008年度のBest Reggae Actを受賞した。続く年にはVPレコーズから彼の2枚目のアルバム「Mr. Brooks…A Better Tomorrow」がリリースされた。 シンガーとディージェイを巻き込んだ、伝統的なジャマイカのサウンド・システム同士で対立するという習慣が、大小に存在し、近年これらの競争向けられる注目度は、大衆へのダンスホール・カルチャーがいかに受け入れられ、至る所にあるかの証明になっている。マバドとヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)の舌戦はジャマイカのタブロイド紙に幅広く取り上げられ、一続きのシリアスな反響を引き起こしている。この分裂は2007年上半期の凝った記者会見で、双方のアーティストがお互いのファンたちに謝罪をして終焉を迎える予定だったが、2008年のStingでのリリックの対決が彼らの言い争いを再度激化させてしまった。有名なこの口論はマバドのガリー(Gully)とヴァイブス・カーテルのガザ(Gaza)と呼ばれる若い支持者の間で、ストリートでの暴力的な衝突へと発展し、2009年12月7日、この緊張を緩和させようとジャマイカ首相、ブルース・ゴールディング(Bruce Golding)がミーティングを企てたが、その前日に敵対するこの2人はWest Kingston Jamboreeでディージェイを行った。この衝突はジャマイカの若者たちにとってどれだけダンスホール・ミュージックが“リアル”なものか、またキングストンのゲットーのサファラー、すなわち受難者たちにとってどれだけ重要なものかを知らしめた。 プライベートでの論争がヘッドラインを飾ろうが、マバドの容赦のない音楽での成功は衰えることを知らずますます強力になる一方だった。自分のルーツを忘れない彼はあらゆるレベルにおいての不公平さと不正に対して信念の固い、また率直な評論家であり、Jamaica Star紙にこう語った。 「俺は自分が見てきたもの、共に成長してきたものについて歌う。俺が、牛が月を飛び越したのを見た、なんていう歌を歌っているところ見たことなんて無いだろ」マバド マバドの音楽とメッセージはキングストンのダンスホールよりも更に遠くまで届き、彼の疲れ知らずで献身的なスタンスはエイコン(Akon)、バスタ・ライムズ(Busta Rhymes)、リュダクリス(Ludacris)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、ワイクリフ・ジーン(Wyclef Jean)らのアメリカの都会派アーティストたちとのコラボレーションへと導き、また彼はジャマイカ人でただ1人、ジェイZ(Jay-Z)と活動したことがあるアーティストになった。2011年に‘Delilah’のリリースと共に自身のレーベル、マンション・レコーズ(Mansion Records)を立ち上げた彼はその年、DJキャレド(DJ Khaled)のウィー・ザ・ベスト・ミュージック・グループ(We The Best Music Group)と活動を共にした。 マバドは彼のルーツである貧困、キングストンのゲットー・コミュニティに暮らす公民権を奪われたサファラーにより忠実でい続けることで、素晴らしい国際的な成功と評価を手に入れた…彼は末永く音楽を作り続けてくれることだろう。 参考文献: Mel Cooke: Mavado: Dance Hall Lovers/Haters' Fantasy Jamaica Sunday Gleaner 27th April 2008 Text by Harry Hawks |
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Mavado Mr. Palmer (Raw) c/w) Mr. Palmer (Edit) Black Chiney 2007 Drum Line |
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Mavado Don't Cry c/w) Tyrical - Never Dis Goldie Lox 2007 Z March |
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Mavado On The Go (Faster Than Bullet) VP US 2008 |
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関連アーティスト |
Bounty Killer (バウンティ・キラー) |
Wayne Marshall(ウェイン・マーシャル) |
Vybz Kartel(ヴァイブズ・カーテル) |
関連ジャンル |
ダンスホール 2000年代 (22) |
ブランニュー (2) |
ジャパニーズ・レゲエ (1) |
歌詞紹介 |
Weh Dem A Do |
このダンスホールのスーパースターのキャリアは本当に華々しく、ますます強力になっている。“マバド…ヒップ・ホップ色の強いビートと、ストリート・ライフと救済を歌う不気味なマイナー・キーのヴォーカルを操るアーティスト”Rolling Stone紙Mavado(マバド)のアーティスト特集。 >>
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