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Sugar Minott シュガー・マイノット |
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シュガー・マイノットの誠実さは彼が制作した楽曲すべてを通して輝き放ったが、早すぎる死はレゲエの世界に衝撃の波をもたらした。
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Alton Ellis アルトン・エリス |
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アルトン・エリスは間違いなくジャマイカ最高のソウルフル・シンガーであり、彼の独特の歌い方と作曲を通してジャマイカ音楽の発展に与えた影響は重要なものだ。
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Dennis Brown デニス・ブラウン |
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“クラウン・プリンス・オブ・レゲエ(レゲエ界の貴公子)”と呼ばれたデニス・エマニュエル・ブラウンはジャマイカ音楽において最も普遍的に人気のあったパフォーマーだった。多くのアーティストたちは死後に名声と称賛を受けるがデニス・ブラウンは生前、他に例を見ない量の深い愛情を受け取った。
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Ethiopians エチオピアンズ |
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事実上のエチオピアンズであるレオナルド・ディロンはジャマイカ音楽の中で陰の英雄であり続けている…
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Lee Perry リー・ペリー |
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リー・ペリーは現在、レゲエ界で音楽の構成と形成の発展における最重要人物だと考えられている。1969年から79年の最盛期には何百ものシングル、何十ともいうアルバムを制作し、ダブ、サンプリング、リミックスの創世記に居合わせた。彼はフィル・スペクターもしくは世界的レーベルのアトランティックやスタックスと同等の立場にいるといっても過言ではないかもしれない。
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Roland Alphonso ローランド・アルフォンソ |
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数え切れない録音で美しいサックスを聴くことができるスカタライツの重要人物。彼の作品は見落とされがちながらもアレンジャーまたジャマイカ音楽の黎明期を形作った人物としてすべての点において重要である。
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Gregory Isaacs グレゴリー・アイザックス |
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素晴らしいラヴァーズ楽曲、それらと同様にリアリティーを映し出した印象的なラスタ楽曲を発表した‘クール・ルーラー’の名称で知られたグレゴリー・アイザックスは1970年代後期を数多くの楽曲で‘支配=ルール’した。
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Augustus Pablo オーガスタス・パブロ |
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「オーガスタス・パブロの音楽はその瞬間に創造され、どうしてかそれ以降に刻まれる時間との音楽的調和は永遠となる」アイアン・マッキャン
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Paragons パラゴンズ |
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数多くのロックステディ・ヒットを残し、ジョン・ホルト、タイロン・エヴァンス等のヴォーカリストを輩出したグループ。あのボブ・アンディも初期メンバーとして名を連ねた。
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Abyssinians アビシニアンズ |
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ジャマイカのルーツ・ヴォーカル・グループの中でも、最も尊敬を受け、優れた、また空気のようなハーモニーの美しさは他と比べようがない。彼らのデビュー・シングル‘Satta A Masa Gana’はレゲエ・ミュージックの歴史において最もヴァージョン化される楽曲、またリズムの1つであり、現在はラスタファリアンたちのアンセムになっている。
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Jah Lloyd ジャー・ロイド |
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70年代を牽引したディージェイ、そしてレコード・プロデューサーの1人であるパット・フランシス別称ジャー・ロイドジャー・ライオンは今も過小評価されたままである…
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Bob Marley ボブ・マーリー |
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小さな植民地下の島国ジャマイカの貧困に生まれながら国際的な音楽スターとなった類に見ない人物でその存在は特別である。搾取され支配下に置かれた人種、階級の存在とその声を世界に届けた。
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Junior Murvin ジュニア・マーヴィン |
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ジュニア・マーヴィンまたの名をジュニア・ソウルは、多作なシンガーではなかったものの、代表作である疑いの余地のないほど明白なクラシック‘Police & Thieves’がその発端であるキングストンのダウンタウンにおける血なまぐさい政治的暴力行為を超越し、底辺から、そして頂上から圧制に立ち向かう世界中の人々のアンセムとなった。
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Prince Alla プリンス・アラー |
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「ジャマイカのルーツ・ミュージックにおける真の英雄の1人である…」スティーヴ・バロウ
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Bitty Mclean ビティ・マクリーン |
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ダンスホールのラガ・スタイルとは一線を画した、スムースで伝統的なヴォーカル・スタイルを打ち出すシンガー。UKのレゲエ・シーンで90年代中期から活動を続ける実力派である。
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Horace Andy ホレス・アンディ |
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ジャマイカ音楽で最も独創的で多作なシンガー/ソングライター、レゲエにおける歌唱スタイル全域にわたって影響を与えた人物。
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Ranking Joe ランキン・ジョー |
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ジャマイカにおいて最もエンターテイナー性のあるディージェイの一人であるランキン・ジョーは輝かしいキャリアを歩んできた。
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Ken Boothe ケン・ブース |
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ケン・ブースは素朴で迫力のない楽曲でさえも、心に触れる感情を与えることが出来る的確な才能を持った“ジャマイカを代表する魂のアーティストの1人” である。
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Cornell Campbell コーネル・キャンベル |
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60年代から独特なファルセットボイスを武器に、甘いロックステデイーからハードなルーツまで様々な音楽に対応してきたマルチなシンガーである。
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Terry Linen テリー・リネン |
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今は亡きガーネット・シルクの再来と称される程の美声が魅力のシンガー。94年のシルクの死後、しばらく業界から離れていたが、99年ホイットニー・ヒューストンのカバー'Your Love Is My Love'の大ヒットにより劇的にシーンへカムバック。その後はコンスタントにヒットを飛ばし第一線で活躍している。
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Jah Cure ジャー・キュア |
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90年代の“ラスタ・ルネッサンス”の信奉者の1人である彼の8年間の投獄生活は道徳的で現実味溢れる音楽を作り続ける決意をより強いものにした…
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Harry ‘Harry J’ Johnson ハリー’ハリーJ’ジョンソン |
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ジャマイカ人として初めて海外で数多くヒットを飛ばしたプロデューサーの一人として知られるハリーJはその経験を活かし国際的なつながりを築き上げていった。アップタウンに位置し、1970年代ジャマイカにおいて「レコーディング・スタジオといえば」と称されたほど最高基準に整えられた自らのスタジオは、キングストンのゲットー出身の歌手やセッション・ミュージシャンを数多く世界に輩出していった。
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Bob And Marcia ボブ・アンド・マーシャ |
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ボブ・アンディとマーシャ・グリフィスから構成されたデュオ。ジャマイカ音楽における2人の偉人の功績はジャマイカ音楽の成長と密接に絡み合い、数え切れないほどのヒット曲は60年代から現在にまでおよぶ。
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Boris Gardiner ボリス・ガーディナー |
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たとえ彼のベース・ギターが20年以上に渡ってレゲエ音楽の心臓として鼓動していたとしても比較的無名な人物としてその名をとどめてきた、ボリス・ガーディナーが音楽的にその他大勢の名高いパフォーマーを凌ぐ貢献をしてきたのは紛れもない事実だ。
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Ernest Ranglin アーネスト・ラングリン |
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世界的に評価を得ているジャズ・ギタリストとしてだけでなく、アーネスト・ラングリンは近代ジャマイカン・ミュージックの‘建築家’=‘創始者’の1人でもある。
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