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グリニッジファームのキング、バニー・リー(Bunny Lee) |
2017年7月19日 ソース: jamaicaobserver.com 関連: ジャマイカ、オールディーズ60's-70's、レーベル/プロデューサー |
シーフード好きならキングストンで訪れるべきはグリニッジファームだろう。しかし1960年代の暮れ、異なったテイストを持つアーティストたちによりこの場所は音楽のメッカになった場所でもある。
その中心にいた人物こそバニー‘ストライカー’リー(Bunny ‘Striker’ Lee)だ。 リーが1960年代半ばにプロデュース業を始める以前、グリニッジ・ファームには盛んなサウンド・システムのシーンがあった。漁業で大半の人が生計を立てていたこの大きなコミュニティでリーは車の部品を売るセールスマンとして働いていた。 |
リーはデューク・リード(Duke Reid)やクレメント‘コクソン’ドッド(Clement ‘Coxsone’ Dodd)主催のダンスで曲を売り込むビジネスを始めた。
1960年代暮れ、グリニッジファーム特有のサウンドと称されるラヴァーズロックのナンバーをプロデュースした。それらにはユニークス(Uniques)の‘Conversation’、スリム・スミス(Slim Smith)の‘Everybody Needs Love’、デルロイ・ウィルソン(Delroy Wilson)の‘Smooth Operator’や‘Better Must Come’、ジョン・ホルト(John Holt)の‘Stick By Me’がある。 このメロウなサウンドは70年代の幕開けと共に反逆的なサウンドへと進化していった。ラスタファリアン・アーティストたちによる痛烈な曲をプロデュースすることでリーは変わり行く時代を乗り切っていった。 マックス・ロメオ(Max Romeo)の‘Let The Power Fall’、ジョニー・クラーク(Johnny Clarke)の‘None Shall Escape The Judgment’、コーネル・キャンベル(Cornell Campbell)の‘The Gorgon’などが、この時代にリーがプロデュースした楽曲だ。 1972年、リーの成功のお陰で、フーキム(Hoo Kim)兄弟はマックスフィールド・アヴェニューにチャンネル・ワン(Channel One)を開業することが出来たと言ってもいいだろう。続く10年、“キングストン13”はジャマイカのヒット曲が生まれる場所として名を馳せた。 リード、ドッド、リー‘スクラッチ’ペリー(Lee ‘Scratch’ Perry)と同様にバニー・リーの大規模なカタログはメジャー、またインデペンデント・レコード会社によって配給されている。 その多くは1960年代と1970年代の音楽の需要がいつも高いヨーロッパに位置している。ジャマイカを訪れるレゲエの歴史家は愛想の良い現在75歳のリーの元を尋ねるのが通例になっている。 バニー・リーは2008年にジャマイカ政府により音楽への貢献を称えられOrder of Distinctionを贈られている。 |
ソースURL: http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/bunny-lee-king-of-greenwich-farm_104891?profile=1116 |
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