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80年代のダンスホールの写真を撮り溜めた女性写真家ベス・レッサー(Beth Lesser) | |||||||||||||
2017年11月1日 ソース: jamaicaobserver.com 関連: ジャマイカ、ダンスホール・クラシック80's-90's |
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ベス・レッサー(Beth Lesser)と彼女のフィアンセは1980年代のジャマイカで行われていたダンスホールのイベントの中でも目立っていた。彼女達はこのエキサイティングな音楽に体を揺らしていただけでなく、この時代に登場したアーティストやトレンドをカメラに収めていった。
最近、ソウル・ジャズ・ブックス(Soul Jazz Books)はレッサーにとって2冊目となる「The Rise Of Jamaican Dancehall Culture」を再販した。 |
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2008年に初版が発売されたこの本にはアメリカ人のレッサーが1982年から1988年の間にジャマイカに滞在していた時に撮った写真を掲載している。シュガー・マイノット(Sugar Minott)、テナー・ソウ(Tenor Saw)、ジュニア・リード(Junior Reid)、プロデューサーのロイド‘キング・ジャミー’ジェームス(Lloyd ‘King Jammy’ James)など当時のダンスホールのスターたちが写真に収められている。
トロントの自宅からジャマイカ・スター紙からのインタビューを受けたレッサーは1,000枚以上もある彼女の撮り溜めた写真を出版しないかとの誘いを多く受けると語っている。人々は1980年代のジャマイカで登場したこの大衆的な音楽に多くの興味を注いでいる。 「あの頃はレゲエがレゲエらしかった。新しかった。メロディ、ハーモニーは耳から離れなかった」と現在60代前半のレッサーは語る。 ジャマイカン・ミュージックは1980年代に変化した。アップテンポなコンピューターで作られたビートは1985年、“Sleng Teng”と共に登場し、80年代前半にボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイアーズ(Bob Marley & The Wailers)がその名を知らしめた“ワン・ドロップ”のリズムに打って変わった。 「The Rise Of Jamaican Dancehall Culture」の再販はレッサーのウェブサイトのリニューアルと重なった。現在は自身の「King Jammys」と「The Legend Of Sugar Minott」を掲載している。いずれは自身のコレクションを全て、また30年以上前にカナダ人の夫、デイヴィッド・キングストン(David Kingston)と共に発行していたReggae Quarterlyマガジンも掲載していく予定だという。 2010年に死去したマイノットはレッサーとキングストンにとって特別な存在だという。彼女達はダンスホールの若手スターを多く輩出したキングストンのユースマン・プロモーションズ(Youthman Promotions)によく訪れていたからだ。 彼女達には1986年にキングストンで行われたユースマン・プロモーションズのダンス・イベントで結婚したというエピソードがある。マイノットは当時の同業者達に比べ頭1つ出ていた人物だったとレッサーは話す。 「彼はゲットーに住み、そこに住む人々の気持ちを決して忘れることの無かった本物のアーティストだった。彼は新しい才能を見つけ、育てるのが上手かった」と彼女は話した。 キングストンとレッサーのジャマイン・ミュージックへの熱は冷めてしまった。彼女は今、南アフリカの特別な支援が必要な子供達の元で働き、現地のフォークと伝統音楽の研究を行っている。 レッサーは自身が80年代のダンスホールの権威だとは感じていないようだ。 「全くそんなことは思っていない。私は他のことに興味が惹かれてしまった。この音楽を掘り下げるようなことは全くしていない。しかしそれを続けている人がいることはいいことだ」と彼女は語る。 |
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ソースURL: http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/wheel-come-again-_115335?profile=1116 | |||||||||||||
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