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1990年代、ジャマイカ国民の心を掴んだラスタ・ルネッサンス・ムーブメント
2018年4月16日 ソース: jamaicaobserver.com
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ルーツ・レゲエは1960年代後期のキングストンのゲットーで産声を上げた。ボブ・マーリー(Bob Marley)、バーニング・スピア(Burning Spear)、カルチャー(Culture)は飢餓や疎外など自らの体験を多くの曲の中に込めた。

慎ましい生活を推奨するこのサウンドは1970年代を支配したが、1980年代際どいリリックと豪華絢爛さに主導権を受け渡した。しかしその10年後ジャマイカに2度目のルーツ・ミュージックの波がやってきた。
1993年、ジャマイカの中心部で活動する黒人意識の強いアーティストたちがダンスホール・ミュージックをトランスフォームさせた音楽を作り始めた。当時新たに開局したIrie FMでのプッシュのお陰もあってマンチェスターのガーネット・シルク(Garnett Silk)、クラレンドンのエヴァートン・ブレンダー(Everton Blender)、セント・エリザベスのヤーサス・アファーライ(Yasus Afari)が中心となって起こったラスタ・ルネッサンスは 1990 年代半ばピークを迎えた。

1970年代に活躍したアーティスト同様、彼らはアンセムを生み、その名を世に知らしめて行った。ガーネット・シルクの‘Mama Africa’、トニー・レベル(Tony Rebel)の‘Fresh Vegetable’、エヴァートン・ブレンダーの‘Lift Up Your Head’、シルクとヤーサス・アファーライの‘I Can See Clearly Now’は社会の共感を呼んだ。

この新しいムーブメントでは4人以外にもシンガーのユートン・グリーン(Uton Green)、シングジェイのカルチャー・ノックス(Kulcha Knox)、プロデューサーのリチャード‘ベロ’ベル(Richard ‘Bello’ Bell)も活躍し、ベルのスター・トレイル・レコーズ(Star Trail Records)は素晴らしい曲をいくつもリリースした。

1994年、ケイプルトン(Capleton)、ブジュ・バントン(Buju Banton)、ジャー・メイソン(Jah Mason)、シズラ(Sizzla)が新たな“ジャー・アーミー”として活躍し始めた。

彼らはダンスホール/ルーツ・レゲエを受け入れ始めていたRASレコーズ(RAS Records)、ハートビート・レコーズ(Heartbeat Records)、VPレコーズ(VP Records)などアメリカの企業から利益を得た。インターネットが普及する前、彼らの音楽はVibe、The Source、URB、Reggae Reportなどのトレンディなアメリカの雑誌の紙面を大々的に飾った。

ラスタ・リヴァイバルはガーネット・シルクが母親の自宅の火災に巻き込まれ28歳で死亡したことで大打撃を食らってしまった。しかし彼らの発したメッセージは今も生き続けている。トニー・レベルは世界で最も成功を収めているレゲエ・ショーの 1 つであるRebel Saluteの代表を務め、シズラは現在もレコーディングとツアーを続け、ヤーサス・アファーライは自身が開催する毎年恒例のJamaican Poetry Festivalを通じてジャマイカの文化を伝える大きな役割を果たしている。



ソースURL: http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/roots-rocking-in-the-dancehall_129333?profile=1116

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