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イギリスでのレゲエ発展に貢献した4人の偉人たち
2018年10月19日 ソース: jamaicaobserver.com
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イギリスのポップ・ミュージックの多様化に大きく貢献したのはジャマイカ人たちだが、残念ながらイギリス政府からの評価は低い。ここではその中の4人を紹介する。

デスモンド・デッカー(Desmond Dekker): イギリスにおけるレゲエ人気に火をつけた1人である。デッカーと彼のコーラス(Aces)、エーシズは1960年代後半イギリスで‘(007)Shanty Town’と‘Israelites’を大ヒットさせた。キングストン生まれのデッカーは1960年代暮れにイギリスに移住し、ウェスト・インディアンのコミュニティーで英雄的な存在となった。またスペシャルズ(Specials)、クラッシュ(Clash)、UB40などの白人のミュージシャンたちからも支持された。デッカーは2006年に死去するまでヨーロッパをツアーで回り続けた。
デューク・ヴィン/ヴィンセント・ジョージ・フォーブス(Duke Vin/Vincent George Forbes): イギリスのレゲエ界で賛美されているヴィンはイギリス初のサウンドシステム、カウント・ヴィン・ザ・ティクラーズ(Count Vin The Ticker's)のオーナーでありオペレーターだった。ボートに乗り密入国した1年後の1955年にサウンドシステムをスタートさせた。カウント・ヴィンの1番の功績は1973年に仲間とノッティング・ヒル・カーニヴァルをスタートさせたことだろう。彼は2012年11月、84歳で死去するまでこのカーニヴァルで毎年パフォーマンスを行っていた。

ソニー・ロバーツ(Sonny Roberts): マンチェスターのスパイシー・グローブで生まれたロバーツは1958年にイギリスに渡り、ロンドンに腰を据えた。その3年後、彼は移民のジャマイカ人として初めてイギリスでレコーディング・スタジオを開業し、自身のレーベル、プレーントーン(Planetone)からサックス奏者のマイク・エリオット(Mike Elliott)、トローンボーニストのリコ・ロドリゲス(Rico Rodriguez)などの曲をプロデュースしリリースした。1970年代ロバーツはレーベル、オービトーン(Orbitone)を設立し、のちにワールド・ビートと称されるアフロ・ビート最初期の楽曲をプロデュースした。1970年代後半には当時始まりつつあったラヴァーズ・ロックでオービトーンはさらなる成功を手にした。86歳の彼は現在セント・アンドリューに住居を構えている。

リー・ゴプサル(Lee Gopthal): キングストン生まれのゴプサルは1952年、13歳の時にイギリスに移住し、簿記の勉強をしていた。そして今から50年前のロンドンでクリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)と共にトロージャン・レコーズ(Trojan Records)をスタートさせた。このレーベルはジャマイカン・ミュージックとポップ・カルチャーをイギリスのメインストリームに紹介する最も重要な役割を果たした。トロージャンは1960年代後半から1970年代中盤までにリリースされた、ボブ・アンド・マーシャ(Bob And Marcia)の‘Young, Gifted And Black’、ジョン・ホルト(John Holt)の‘Help Me Make It Through The Night’、ケン・ブース(Ken Boothe)の‘Everything I Own’などレゲエ史に残る大ヒット曲のプロモーションを請け負った。管理者としての彼の功績は今年50周年を迎えるトロージャンと共に認知されることとなった。彼は1997年この世を去った。



ソースURL: http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/without-honour_146832?profile=1116

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