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Harry J ハリーJ |
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1969年から70年代初頭、初期レゲエと呼ばれる時代に最盛を誇ったレーベル。スピード感溢れるその独特なビートは、遠く離れたイギリスのスキンヘッズたちをも熱狂させた。80年代を迎えてもデジタル化の波に素早く順応し、素晴らしいヒット曲を輩出した。
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Firehouse ファイヤーハウス |
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ダブ・マスターの異名を持つ、キング・タビーが85年に興したレーベル。その革新的なサウンドは世界中のレゲエファンに再評価されている。
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Gay Feet / High Note ゲイ・フィート/ハイ・ノート |
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ジャマイカ初の重要女性レコード・プロデューサーがソニア・ポッティンジャー。彼女の夫、リンドンOポッティンジャーは知る人ぞ知るジャマイカ音楽創設の父だった。
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Jammys ジャミーズ |
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コンピュータライズド・デジタル・レゲエの創始者キング・ジャミーが率いるレーベル。
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Soul Beat ソウル・ビート |
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BB・シートンによって設立されたレーベル。自身が在籍したゲイラッズのロックステディを始め、上質な初期レゲエ・チューンをリリースした。現在も新録を行うなど積極的な活動を行っている。
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Techniques テクニクス |
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「俺はそこから何も望んでいないにも関わらす、名声を得ることができた。俺は自分のやる仕事から信頼を得たんだ」ウィンストン・ライリー
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Channel One チャンネル・ワン |
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「1975年から1976年にかけて同等のインパクトを与えた、もしくは音楽の方向性にあれだけの影響力を及ぼしたのジャマイカのスタジオは他にはない」スティーヴ・バロウ&ピーター・ダルトン
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Observer オヴザーヴァー |
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ジャマイカで最も独創的で、革命的なレコード・プロデューサーの1人、“ジ・オブザーヴァー”ホルネスの名前はいつも注目されてきた…
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Scotch Bonnet スコッチ・ボネット |
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マンゴズ・ハイファイ(Mungo’s Hi Fi)が2005年に設立したスコットランドはグラスゴーのレーベル。ファウンデーションに敬意を払いつつ、レゲエのみならず様々な要素を取り込んだリズムも去ることながら、ライブと制作の両面で密接に活動を共にする独自のアーティスト・ロスターをはじめとする多岐多様に亘るシンガー /MC陣も見逃せない。
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Joe Gibbs ジョー・ギブス |
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真の成功のように全てがうまくいくことは他にまずないであろう。そして70年代中期から後期にかけて、ほんの一握りのレーベルだけがジョー・ギブスが発表した作品がもたらした成功に近い、またはそれ以上の実績を挙げた時代があった。
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Santic サンティック |
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生まれながら控え目だが、非常に才能溢れる、レオナルド‘サンティック’チンはレゲエ・ミュージックの歴史における2つの異なった、非常に重要なムーブメントに親密に関わり、大きく影響を残した。
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Aquarius アクエリアス |
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ジャマイカ音楽の歴史上、ハーマン・チン・ロイは比較その名を知られていない状態に留まってきたが彼のアクエリアスとスコーピオの両レコード・レーベルが出す革新的な音楽は、遥か遠くまで共鳴し、その他多くの有名プロデューサーを差し置いてその重要性を証明した。
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Volcano ヴォルケイノ |
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ジュンジョのレーベル、ヴォルケーノとハイ・パワー・サウンドシステムは「威勢のいいアルビノのアーティスト、イエローマンとティーンエイジャーのシンガー、バーリントン・リーヴィを含むオールスター・キャスト」で80年代早期のジャマイカの音楽シーンを支配した。
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Jontom/Sun Shot/Terminal ジョントム/サン・ショット/ターミナル |
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「絶頂期だった70年代でもフィル・プラットは、自身が注目の的の1人になったことはなかったと語っている。しかしアメリカ人ラッパーのスヌープ・ライオンがカヴァーしたケン・ブースの‘Artbella’はレゲエ界で過小評価されているプロデューサーの1人に焦点を当てた」ハワード・キャンベル
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Beverleys ビバリーズ |
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1962年から1971年までの間ビヴァリーズ・レコーズはキングトンの音楽シーンを引率したレーベルの一つであり、レスリー・コングはジャマイカ産の音楽を世界的なステージへと紹介した最初のレコード・プロデューサーたちの一人だった。
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Blue Beat ブルー・ビート |
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ロンドンを拠点にしたレーベルであり、60年代のイギリスでは全てのジャマイカン・ミュージックは“ブルー・ビート”として呼ばれたほどこのレーベルが与えた影響は大きい。
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African Museum アフリカン・ミュージアム |
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プロデューサーたちのために作っていた自分たちの音楽の管理を行い、その権利を作曲者の手に収めるためキングストンの一流レコーディング・アーティスト、グレゴリー・アイザックスとエロール・ダンクリーによって始まった事業…
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Gussie P/ Sip A Cup ガッシー・P/ シップ・ア・カップ |
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ロンドンを拠点に新旧の良い要素を混ぜ合わせ調和させた音楽で成功したプロデューサー/エンジニア。過去20年、ガッシーのスタジオと自身のレーベル、シップ・ア・カップとガッシーPはUKレゲエ・シーンの礎を築いた。
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Clandisc クランディスク |
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社会の変革に音楽の力を持つと信じたクランシー・エックルズは、無数の人々を迎え入れ彼らが自身の取り入れた革新を利用して利点を得られるようにした…
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Music Works ミュージック・ワークス |
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長くそして非常に大きな成功を収めた自身のキャリアを通しオーガスタス‘ガッシー’クラークは仕事に対して常に細心の注意を払って来ただけでなく音楽製作全ての段階に関わってきた。
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Black Ark / Black Art / Upsetter / Orchid ブラック・アーク / ブラック・アート / アップセッター / オーキッド |
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リー‘スクラッチ’ペリー(Lee ‘Scratch’ Perry)は彼のブラック・アーク・スタジオ(Black Ark)でもっとも複雑で神秘的なジャマイカ産の音楽を創造した人物である。ジャマイカ音楽においても特にだが一般的な録音された音楽でも、その重要度は計り知れない。
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Fe Me Time フェ・ミ・タイム |
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ジミー・ラドウェイのレーベル、フィ・ミ・タイムとカプリコーン・ライジングは決して多産だったとは言えないが彼によってプロデュースされたすべてのリリース作品は認められし傑作である。
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Intel Diplo インテル・ディプロ |
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ザ・ウェイラーズの解散後、ピーター・トッシュは自身のレーベル、インテリジェント・ディプロマット・フォー・ヒズ・インペリアル・マジェスティ(Intelligent Diplomat For His Imperial Majesty)からレコードをリリース。通称インテル・ディプロH.I.M.(Intel Diplo H.I.M.)の録音が繰り返し訴えたテーマはあらゆる人のための自由、平等な権利、正義であった。
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Striker Lee/Lee's/Jackpot/Justice ストライカー・リー/リーズ/ジャックポット/ジャスティス |
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音楽の流行を生み出すクリエイターとしてバニー‘ストライカー’リーの右に出る者はいない。レゲエが最盛期だった1970年代、レゲエ産業は彼の言葉に全てを託し彼の一挙手一投足を真似しようとした。
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Pantomine/Dwyer/South East Music パントマイン/ドワイヤー/サウス・イースト・ミュージック |
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グレン・ブラウンは商業上での成功から大きく遠ざかっているものの40年にも渡り発表されてきている作品は彼を“謎多き人物”としてのステータスを確立させたが、彼のレコードはコレクターズ・アイテムとして評価され、それに伴いコレクターの市場において高値がつけられている
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